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08.03.Friday 2018

潜ってみようと思った

続きを書いていきます。

前回の最後に、「とんでもなく苦い薬を飲むどころの騒ぎじゃないこと」。それを私は、肚の底から「したい」と願っていると書きました。

Aさんを自分の心の中に受け入れること。
それを「したい」と望んでいるはずなのに、嫌悪感が先に出て来てしまう。どうしても頭で考えてしまう。

前に進めない状態になっていました。

やはり未だ、「ねばならない」の世界に縛られているのか~
自分で自分の縛りを斬ってゆく。。。そう決めたのにな。。。と思っていたら。

「縛り」という言葉で、ふと思い出したことがあったのです。

数年前、先輩セラピストのポラリティセラピーを受けている時、夢の中でヴィジョンを見ました。

セラピー中、私の中で起こっていることが、映像として見えてきたのです。

水でひたひたになった状態の、幾重にも重なる層のようなものが見えて(バウムクーヘンとか、ミルフィーユみたいな感じです)、その層にセラピストの指が優しいタッチで入ってくると、層の重なりがスーッと消失してゆくのです。

よく観察してみると、層の重なりはとても細い糸のようなもので束ねられているようでした。
でも、セラピストの優しい圧が入ることによって、細い糸がプチプチプチっと切れて、束ねられていたバウムクーヘン状の層が「解けて無くなる」のでした。

セラピーが終わると、心も体も軽くなっていて。。。

その時、「人間って、実は細い糸で束ねられていて、それが肉体を形作っているんだな。良いセラピーというのは、縛られている糸を切って、肉体を解いていくことなんだ」って思いました。

2018.08.03kotei4

糸の縛りが強ければ強いほど、肉体は収縮する。
収縮はエネルギーを停滞させ、コリを生んだり、病気の原因になりますから、大変、不健康な状態。

良いセラピストの手は有難いけれど。。。優れたセラピストに常に頼るよりも、自分の体は自分で責任を持ちたい。
何故なら、「縛り」を加えているのは、「自分自身」だから。

私が見た「細い糸」というのは、「思い込み」であるとか「ジャッジする心」とか。。。
とにかく「私の心から自由性を失わせる全てのもの」かな?

「肉体っていうのは、あんな細い糸で縛られて固められているのか。それってなんか、自分の意識が自分の人形を作っているみたいだよな」

そんな事を思ったのだっけ。

。。。。ってことを、つい最近思い出して!!

もしかすると、私があの時見たヴィションは、私の潜在意識が形として見えていたのかも?と閃きました。
とすると、あの何段にも重なる層は、カルマの層のようなもの??

そう思った時、思考がグルリと反転しました。

そうだそうだ。
理論物理学者の保江先生からお聞きした話。

「私たちの本質は、霊魂の部分にある。肉体の方じゃない」ということ。
(私の6月18日のブログに、先生のお話の内容を書いています)

霊魂の部分は、完全調和の世界で、時間も空間も無いのだそうです。
そこは、全てと繋がっている世界、分離のない世界。

分離のない霊魂の世界から、分離された肉体が、人形のようにポコンポコンと生じて。。。

「霊魂の影みたいなものが肉体」という感覚が、スッと腑に落ちました。

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霊魂の世界は、神さまの光で満ちている。
その完全調和の世界と合わさらない部分が、「影」となって肉体となる。
完全調和と影の境目が「皮膚」というわけか。

出処は同じなのに、影である「人形」同士が争うことをする。

それって、滑稽ですね。
人形遣いが、人形になりきって、喧嘩してるってこと。

いやいや、私は物語を創れる立場なのに。
それ忘れちゃってるよ。アホだね(笑)

しかし、人間の本質は、アホということなのかも知れない。
完全調和から外れる部分(=アホな部分)があるから、肉体があるのだろうし。

いろいろ解ってそうなあの人も、悟ってそうなあの人も。
皆アホなのかも知れない(笑)

だって人間だもの(←相田みつを。深いな 笑)
注)神のような精神レベルの存在が、わざわざ人間界に降りてきている場合は除く

だから、肉体をもつ人と人は「アホの部分でしか心を触れ合えない」ように思う。

アホの部分は、完全調和から外れているので、互いを傷つけ、傷つけられ、という不調和が起こる。

傷つけかた、傷つけられ方は様々。

パワーで押さえつけたり、屈服させられたり
嫌ったり 嫌われたり
裏切ったり 裏切られたり

これらのマイナスな事象が、人と人とが触れ合う事で生じてしまうのならば、悲しいこと。

「ひとつ」と「ひとつ」が触れ合うと、花を咲かせ、実を結ぶのが自然なことなのに。

傷つけあうことで生じる全てのことは、まるで、あだ花のよう。
あだ花は、実を結ばず散る花です。

互いの間に咲く「あだ花」を見つけた時、「この花を咲かせたのはお前だ」と、目の前の人を罵りたくもなるけれど。。。

その花の根を辿れば、同じところから出ている。
お互いのアホな部分という、同じ場所から出ている。

そのアホな部分の先端は、「生きていく痛み」という同じ哀しみに繋がっている。

人は痛いから支配しようとする
人は痛いから屈服しようとする
人は痛いから人を嫌う
人は痛いから嫌われたと思う

そう考えると、「被害者」と「加害者」は消えてしまい、哀しいあだ花は、光を受けて、新たな生命という「実」をつける。

あだ花の底にある、根っこの先端まで潜ること。
そしてそこが、自分の痛みと同じ場所であると気づくこと。

さらに、「お互いアホなんだよな~」って、お互いを笑いあえたらいい。

それ以外に、憎しみや怒りから、自分を解放することは出来ないように思う。

うん。この方法なら、Aさんを、心に受け入れられそうだ。めでたい(笑)
やっと、肚重心で感じて進んで行けそう。

霊魂主体で考えれば、わりと簡単に肚重心になるな。
書いていくうちに、そう思い至った。

まだ少し、書きたいような気がしています。

ゆっくり書いていきますね。