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08.20.Tuesday 2019

何故、悟ろうとするのですか? ②

前回からの続きです。

私が何故、ある先生に師事するようになったのか。。。を書いていきます。

2014年にサロンをオープンして、はっきり言うと、お客さまからの反応は、思ったほどありませんでした(笑)

その当時の私は、精神的に未熟で(今でもですが 笑)、人さまと自分を比べて、より惨めな気分になる癖がありました。
今思うと、それは完璧なる「ひとり劇場」で、アホだったなぁと思いますが。

ポラリティセラピーというのは、私はとても優れたセラピーだと思っています。
とてもサトルなエネルギーを扱うし、それだけに癒される深さも深いです。
ただ、そういう部分は目には見えませんから・・・相当エネルギーに敏感な方でないと、効果をキャッチするのが難しいという事実はあります。

ですので、サロンを開いてもジャンジャン大盛況みたいな仲間も、いなかったと思います。
10年以上続けておられて、他のセラピーも組み合わせて、時間をかけてクライアントさんを増やされている先輩は、数少ないですがおられました。

しかしそんな中、ひとりだけ「ジャンジャン大盛況」な人がいたのです。
私より、一年先にスタートしたセラピスト。

彼女の施術を何回も受けたことがありましたが、いくら考えても、彼女にあって自分に無いものが解らなかった。

今ならわかります。
私の内面の問題。人と比べては惨めになるような思考回路のセラピスト。。。私だって施術受けたくないわ!!(笑)

あとは多分、「自信」の問題。 
大盛況の彼女には、自信があったけど、私には本当の意味での揺らがぬ自信が無かったのだと思う。

事実、彼女にはラッキーという部分もあったと思う。
他のセラピストたちも、「何故、彼女だけが?」という空気がありましたから。

大盛況の彼女には、ラッキーが早めにやって来て。
ラッキーを掴んだ自分にも、とても自信がもてて、きっとポジティブな連鎖が生まれていたのでしょうね。

ラッキーを掴めたのも、彼女の内面が相応に整っていたからなのだと思います。今なら、素直にそう思います。

「己の内面と外界は相応している」

それを4年間師事した先生の元で腑に落としましたから。

いや、正確にいうと、先生の元を去ってから、暫くして腑に落ちた。。。のですが。

さて、「自分の内側と外の世界が鏡になっている」ってことが解っていないと、苦しくて苦しくて仕方がありません。

「私に何が足りない? どうすれば人に認められるセラピストになれる?」って、外に何かを求めるという方向性に行く。

「そうだ! 特別な力が欲しい。特別な誰にも負けないヒーリングの力を」← 今振り返ると、アホそのものの思考回路(笑)

それでね。。。いろいろな情報を集めて、ふと、ある一人の先生に心が動きました。

経絡指圧をされている方で、僧侶でもある方。
その先生の本を何冊が読ませていただいて、「この方に習いたいなぁ」と思ったのです。

そこでは仏教を学びながら心を深め、結果、深い治療が出来るようになっていく。。。というところが、良いなとも思いました。

あとね、先生がカリスマっぽかったの (笑)
ご本人はそれを否定されていましたけど、周りがそういう空気作ってましたね。

なので、当時のアホな私は、「カリスマっぽい先生について行けば、どうにかなるだろー」というオツムがお花畑な状態で、先生に師事することを決めたのです。

これは、たった5年くらい前の話なのですが、自分自身の意識や考え方も全く変わったので、以前の自分の思考回路をこうして思い起してみると、「おいおい君、大丈夫か?」と笑ってしまいますね。というか、愛おしくも感じますよ。大変だったのね~ ジタバタしたんだね~ って。

先生は、素晴らしい治療家さんだと、今でも思っています。

教えていただいたことの数々は、宝物ですし。

しかし。。。
学んでいくうちに、「気」とか「エネルギー」というものに次第に敏感になっていくわけですが、そうすると、「なんか、ここにいる人たち、矛盾だらけじゃない?」って思うようになったのです。

私は特に、「先輩」という立場の人たちに、違和感を感じるようになりました。

その人たちは、先生の前では立派なふるまいや言動をします。

でも、そうでない時には、一般の人たち(精神的なことを学んでいない人たちという意味で使います)よりも、心ないふるまいをなさるのです。

具体的に言うと、私がそこを辞める一年ほど前から、自主的な勉強会のような形式で、横浜で月一ペースの集まりがありました。
メンバーは私以外、10年以上学んでいる大先輩(治療家として活動をなさっている方も含め)、7年、8年学ばれている方ばかりでした。

会場の予約、会場費の支払い、備品を揃えること、(ある楽器も使用していたので)大きな楽器を家に持ち帰り、会場まで運ぶこと諸々。
最終的には、私がこれらの全てをやっていました。

これだけでも疑問だったのですが、「小銭の持ち合わせがない」と言って会場費を払っていただけない、集合時間には誰も現れない(30分遅刻はあたりまえ)等々。。。

「もうやってられんわ」と思いましたね。

だって、10年以上も学んでいる人たちが、先生の目の届かないところでは、こういう態度をとる。
何を学んでいるのですか?って思いますよね。

先輩に失望する気持ちや怒りの気持ちで押しつぶされそうになりましたが。。。今思えば、それだって私の在りようが、先輩たちをそうさせたのです。

「内面と外界は鏡うつし」

これが解ってしまった後では、そう認めざるをえません。

私が実際のところ無責任だったからなのです。
一見いろいろやっていて、責任持ってそうでいて、無責任だったのです。

では何故、私は無責任だったのか?

長くなるので、次に続きます。


2014.10.26dolphin2