ブログ

08.25.Saturday 2018

縁は円 ~回転するもの~

前回からの続きを書いていきます。

生きていく上で、いろんな方と出会っていきますよね。

出会った方全てと、良き関係を築けるわけではなく。

出会うことで、良い影響を受け、自分の人生観まで変わってしまう。。。そんな方も。

出会う事で、傷つけ傷つけられ。。。出来たらもう会いたくないかな。。。という方もいる。

何故、このように、ネガティブとポジティブに分かれてしまうのでしょうね?っていうことを、少し考えてみました。

それで、自分なりにしっくりきたのが、「記憶と記録」という言葉でした。

良きご縁って、時を超えてずっとずっと私の中に残っている。
それは「あたたかさ」のようにも感じる「記憶」です。

嫌だったな、というご縁も又、心にずっとあったりします。でもそれは、冷たい刃物が心に刺さり続けているような。。。痛みであり「冷たさ」のような「記録」。あたたかさが無いから、記憶にはならない。

そしてこの冷たさは、いつまでも心の中では「マイナス得点」。。。「勝てばプラス・負ければマイナス」のように「冷たい、無機質なデジタルの得点ボード」みたいな感覚? マイナスの「記録」です。

このマイナス得点を何とかしてプラスに転じてやろうとするエネルギーが「エゴの発生源」かと思われます。

「こんなに嫌な思いをしたのだから、それに見合った幸せを手に入れてやるよ」って、醜い化け物のような心?(笑)

そして争った結果「勝ち」や「プラス」を手に入れたとしても、それは実は、自分を傷つけているのですよね。
「戦い」の中で勝ち得たプラスは、真の幸福でも何でもないから。

相手を叩き潰したり、踏みつけにして何かを得たところで、実は自分の心はメチャ傷ついているように思う。
なので、勝ったところで傷ついているから、「もっと幸せに。もっと豊かに。もっともっともっと!!」って、やっぱり化け物かーい?(笑)

戦いの中では、本当の意味での「プラス」とか「上昇」は、無いですね。
この構図に気付いた時、「お? わりとシンプルじゃん♡」と思いました。

2018.08.26en2

「良きご縁」っていうのは、時空を超えて、グルグル廻り廻ってくる。且つ、出会うごとにどんどんプラスを生んで、螺旋を描き向上していく。

「喜ばしくない因縁」っていうのも、グルグル廻り廻ってくる。
嫌だけど、ぜったい廻ってくる。

絶対、逃げられないよ(笑)

で、気を付けようと思ったのは、目の前に廻って来たものが「嫌な縁」だと感知した時に、「ひと踏ん張り」が必要だということ。
冷たい「記録」を、あたたかさという「記憶」に転じるために。

そのひと踏ん張りをする時のコツみたいなの!! が、前回の記事に書いた「潜ってみる」ということです。
潜ってみると、「嫌な・気持ちの悪い・憎々しい相手」の悲しさは、私の悲しさと、繋がるのです。

そしてそうなることで、私の心は、とても救われます。
多分、見えない領域で、相手の心も救っています。

潜っている状態だと、自分も相手も無いのだし。
分離していない状態だから、自分が楽になる = 相手も楽になっている。。。のです。きっと。

これは、やってみると判ることなので、おススメしたいなぁ。

相手と自分の悲しさが「同じ」っていうのは、多分、「同じことが原因で、傷ついている者同士」ということかな?

Aさんと私の共通の痛みは、「親から本当の愛を受け取っていなかった」ということだと思う。
ここら辺も、細かく検証してみると良いのかな? と思うので、次回以降で!

潜るまでには、とっても抵抗あります。顔を見るのも、思い出すのも胸くそ悪いわけなんで(笑)

その人の目の前から姿を消してしまえば、とりあえずは、「これ以上傷つかなくていい」って思えてしまいますし、状況が可能であれば、接触を断ちますね。そして思い出さないようにする・・・というか、忘れたふりをする。でもこれは、あくまでも「フリ」なのであって、忘れちゃいないのです。

なので、相手との接触を断つという方法だけでは、傷は完璧には癒えないです。←経験談(笑)

嫌でも、気持ち悪くても、相手と向き合わなくてはいけない。
これは、実際に会って向き合うということではなく、心で向き合うということで。。。

実際に向き合って。。。というのが出来たら良いのだろうなぁと思いますが。
私は、Aさんと接触を断ったことで、かえって心を落ち着かせて、相手と向き合うことが出来ました。

なので、一旦接触を断つことが、相手にも自分にもプラスに転じることもあるので、「私は絶対逃げません」みたいな、変な意地を張る必要もないのかなと思います。

そこらへんは、柔らかに対応したら良いのかな。
ご縁があれば、又、繋がるものですしね。

さて、心で向き合う前は、Aさんは私にとって「超マイナス得点を私に食らわせた悪人」ですよ(笑)

「よくもまぁ、ここまで傷つけてくれたわね。先輩として、男性としてもサイテー」くらいの勢いで、心の中で罵倒していたわけです。今思えば、申し訳ありません。。。ですが。

勇気を出して潜ってみると、ちゃんと相手の姿が見えて来ます。
そうするとですね。。。相手の正体は「自分自身の一番醜い部分」が、現実化したものだって解ってしまいました!!

キャー 嫌だわ。

なので、相手を罵倒することは、自分を罵倒しているということで。

この仕組みが解って良かった♡ これが解らなかったので、今まで随分と自分で自分を傷つけてきたなぁ。

ここら辺のことに、少しづつ気付いていった経過は、次回以降に書いてみますね。

とにかく、「冷たさ」を「あたたかさ」に転じていくこと。
私には、それをちょっと勇気を出してやっていくことが大切でした。

ところで、陰陽マークってありますよね?

私には、ふたつの勾玉がグルグル廻っているように見えるのです。

2018.08.26en1

何だかAさんと私みたいで。

同じ傷を持つもの同士が吸着しあい、「出会う」という現象が起きる。
そして、双方の間で、いろいろな出来事という「回転」が生じる。

そもそも、「同じ傷を持つ者同士」だから、傷つけあってしまう。
まぁ、未熟者同士のレベルの低い喧嘩(笑)

そこまでは仕方がない。
お互い未熟者なのだから。

その先。
双方がブチ切れて、物別れに終わってしまえば(こういう場合がほとんど)、カルマが解消されないから、次も絶対同じ問題を解決するために出会います。「喜ばしくない因縁」として(笑) 

時空を超えて、出会ってしまう。
絶対に逃げられない。

ここで、ひと頑張りしてみる。
潜ってみることで、相手が自然に自分の中に入ってくる。

ピンクの私の領域に、黒いAさんが含まれて来る。
これは、黒のAさんの中にも、同時に起こるのだと思う。
黒の中にピンクが含まれて来る。

この「含みあう」=「痛みを理解しあう」ってことが、勾玉の回転数を上げてくれるのだと思うのです。
回転数が上がるというのは、波動が上がるということ。

で、回転数が上がるということで、「冷たい」→「あたたかい」という熱量が生じます。

その熱量で、魂は少しづつ上昇していくのではないかな? 
この少しずつでも「上昇する」ということが、カルマの解消に繋がるのかな?

双方が、カルマの解消から逃げてしまうと、勾玉の回転数は下がり、さらに重いカルマとして、肉体に沈殿していくように思います。

年齢を重ねるごとに、カルマは沈殿して肉体を縛り、どんどんどんどん自由性を失ってしまう。

赤ちゃんのからだは柔らかで、自由ですものね。大概の大人はコチコチで不自由。

これは、あくまでも私の感覚なので、こんな感じ方もあるのかな?くらいに思って下さいね。
サラピーをして、ひとの体に触れていてこそ感じるものもあります。

なのでAさんとは、次に出会う時には、もう「傷つけ傷つけられ」という関係性にはならないと思います。メデタイ!!

それから前回の記事で、「私は一旦、祈るということを辞めました」と書きましたが、結果、辞めてません。

正確にいうと、「祈り」のかたちが変わったのです。
以前のように、時間をとって「祈ろう」というのはやめました。

でも、気づけばいつも心の中に「祈り」はありました。

私の中で、祈りが「行為」→「状態」に変化したように思います。
祈りは、私の中から自由に溢れ出るものです。

「祈り」というのは、本来、とても自由なものなのだな、と改めて感じています。

次の記事も、ゆっくりの更新になると思います。
気長にお待ち下さいね(#^.^#)